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 今日の天気予報はまるで当たらなかった。アプリの天気予報は雨だと言い張っているが、空は晴れていた。天気予報は当てにならない。天気予報に限らない。予報、予測、予知、予言、みな「予」は外れることが多い。

 例えば昨今のコロナウイルス。ある日突然現れたウイルスが、世界中を混乱させ、私達の日常の在り方そのものを変えてしまうなどと一体誰が予想できただろうか。あるいは、曖昧な「大変動」あるいは、「世界の終わり」を唱える人にとっては、これこそが予言の的中だと言い張るかも知れないが、予言はいつだって曖昧で、少なくとも「ウイルス」が、そして「いつ」といった事を言うことが出来た予言などあるのかという疑問とともに、筆者が思うのは、恐らくコロナで世界は終わらない。大打撃、大変動こそ経験するだろうが、世界はそう簡単に終わらない。そういう意味では、やはり未来を予知できた人間などいなかった。

 先日とある「予言者」が亡くなった。その人の名は「五島勉」である。著書『ノストラダムスの大予言』にて、「1999年7月」に人類が滅亡するという解釈を行った人物だ。さてここで、五島勉氏は「解釈者」であって、「予言者」ではないのでは?と思われるかも知れないが、私的な意見を述べると、ノストラダムス当の人は「世紀末の滅亡」などとは、恐らくだが言っていない。

 筆者がノストラダムスという人を知る限りでは、彼は献身的な医者で、作家で、そして確かに予言者である。けれども、彼が生きた中世という時代においては、占星術が学問として扱われ、未来を予知する事はきっと普通の範疇であった。なお、彼の予言というのは、中世フランスの当時をして「曖昧すぎて何を言っているのかわからない」と言われたようなものである。個人的な印象としては、ノストラダムスという人は、当時流行したペストと戦い、予言書や医療書によって地位をなしたベストセラー作家、けれどもきっと普通の範疇に収まる、良い人であった。
 そのノストラダムスを、「世紀末の滅亡の予言者」と捉え、解釈として発表し、オカルトブームの火付け役となった「ノストラダムス時代」を現代に作り上げたのは五島勉その人である。そういう意味では、筆者は彼こそ「世紀末の予言者」であったと考える。

 五島勉の『ノストラダムスの大予言』の影響が実際の社会にて如何ほどのものだったかは、1999年当時物心がついたかついていないか曖昧であった時分の筆者には真には分かりかねる。あるいは、「ノストラダムス時代」以降に生まれた、もしくは物心ついた世代にとっては、生きている現在、予言は当たっていないのだから、なんて馬鹿馬鹿しいこともあったのだと、そう思うかも知れない。

 しかし筆者は筆者なりに想像する限り、そうは思わない。世紀末、西暦の長いミレニアルが終わり、2000年がやって来る。「だけれども、本当にそうだろうか?」という不安もあったのではないだろうか。それまでの時代を筆者なりに想像するにあたって、かつては西暦というのは1000の代というのが当たり前で、まさか2000年がやって来るとは、分かってはいるけど、分からないというのが感覚としてあったのではないか。筆者の想像する限り、そんなミレニアルの終わりという感覚は、もう1000年経って3000年になってみないとわからないだろう。そんな歴史の節目であった。
 2000年など、それ以前の多くの漫画やアニメにおいて、遠い未来の話で、それが実際にやってこようとはという感情。ちょうど五島勉氏が火付け役となった「オカルトブーム」においても、この世にないもの、わからないもの、そんな物が取り沙汰され、ある種の世情不安を呼んだ。
 そんな不安の一例が、コンピュータにおける「2000年問題」などにも現れたのだろう。そしてそこに、ちょうど1999年で人類は滅亡するという「予言」があった。それは、一定の真実味があったのではないだろうか。歴史の節目、2000年。冷戦も終結し、太平無事になったように思われる世の中。しかし、2000年、2000年である。人類の歴史の中で、紀元後たった二回しかない1000の節目。末法思想にも近い。そんな特別な歴史の節目に何かがあると、思った、思いたかった人も多かったのではないか。
 付け加えれば、当時はまだまだインターネットというものは普及しておらず、テレビや本といったメディアの力は今よりもずっと強かった。そんなメディアが、視聴率のため、あるいは面白がって、こぞって「大予言」を取り上げる日々。世情不安定な1990年代。そして迫る1999年。多かれ少なかれ、不安はあっただろう。

 Twitterの大槻ケンヂ氏のツイートにて、氏は「1999年7月にて、人類は滅亡する言う前提で、少年時代を生きてきた」、「結局(1999年には)滅亡しなかった、以降ははおまけの人生を生きているボンヤリ感が今もある」というツイートを見て、改めて考えさせられた。

 かつて確かに「ノストラダムス時代」はあったのだ。「1999年の終末」を信じて、どうせ滅亡するのだからと、財産を使い果たしてしまった人という話も聞いたことがある。そこまで極端に行かずとも、当時の日本人の多くは、なんとなくぼんやりと「終わるかもしれない」あるいは「終わらずとも何らかの節目」として捉えていたのではないだろうか。そして、終わらなかった今、「ノストラダムス時代」を生きた人間にとって、やはりぼんやりと「1999年7月」は節目として、人生を指し図る一つの基点として、記憶にあるのではないだろうか。

 2012年にも、「マヤ文明の予言」として、世界の終末が予言されたという騒動があった。結局それも外れたのだが、1999年の「大予言」への熱意は、2012年の比ではなかっただろう。
 日本人の多くが「終末」の存在を、程度の差はあれども想った。それは一体どんな気持ちでどんな時代だったのだろうか。筆者には、やはり真には分からないけれども、そういう時代があったという事を、真剣に考えてみたい。そんな事を思った。

 今日も空は晴れている。予報は外れた。世界は終わらない。予言は外れた。だが、しかしいつかは?
 明日のことは、良くも悪くも、人間には分からないのである。

 この記事は、やや不安定になっていた自分の感情を整理するためのものである。誰に見てもらおうというつもりもない。ただ今の自分にとっての感情の表現手段が、このブログくらいしか無いので、ここに記すまでである。雑記極まる、感情の吐露である。おそらく追悼というものでは無いと思う。筆者なりに「死」を感じて、恐ろしくなったので、それを整理したいと想う。そんな記事である。

 筆者には「死」というものが分からない。死、死、死。これからも分かることはないだろう。分かってしまう時は、それは死ぬ時のような気がする。

 昨日ある人が亡くなった。自殺である。そのニュース自体について多くは語らない、語れない。というのも、筆者は世情に非常に疎く、その人のことを存じなかったからだ。名前も初めて聞いた。
 ただ、人が亡くなった。それも自殺と言う手段によって。それは、素直な気持ちとして、悲しいことだった。それと同時に、恐ろしくなった。わからなくなった。不安定になった。
 殊に自殺である。死というものは本人にとっても予期せざるものである。ただ本人にとって予期し得る死というのが、自殺である。自殺の背後には、とても本人にしか知り得ない、深い苦しみと悲しみがあったことだろう。
 正直、筆者自身、そのある人の自殺というニュースを耳にして、死というものに少し引っ張られた。それは無論その人のせいではない。死というものそのものが持つ威力ゆえである。

 筆者自身、うつ病によって死というものを考えたことが無いと言ったら嘘になるから、自殺という気持ちはどこか、薄っすらとだが、察しのようなものが付くところである。自殺というのは、とても生半な気持ちで選べる選択肢ではない。あくまで死という物を選ぶ、「きっかけ」そのものは単純に聞こえるかも知れない。だがその背後には、深い深い感情と理性のせめぎ合いと、誰にもわからない、常人が背負うには重すぎる苦しみの塊をいくつも背負っていて、ひどく辛いことがあったというのは、確かである。

 理屈抜きに、人の死を知るという事は、悲しいことである。ここで重要なのは、「知る」という事である。知らない死、今日も日本中、世界中の何処かで、この瞬間にも誰かが亡くなっている。それを筆者がいちいち認識して、思って、悲しんでいるのか?と問われれば、それは嘘になる。だがそれは誰にとってもそうだろうし、それは仕方がないことなのである。
 いつだったかどこかで書いたと思うが、人はみな、多かれ少なかれ範囲の決まった「近視眼的世界」に生きている。知らないことは認識できないし、つねに「全世界」を意識して、生きている人間などおそらくいない。人は無意識に人に役割と順位をつけて考えている。それは悪いことではない。生きていくための、必要な行為だ。
  ただ、筆者のように精神薄弱な人間は、なにかの形で「死」という事を耳にした時、その瞬間になって、認識しなかった全世界の「死」に、ものすごい申し訳無さを感じるのである。そして、「死」というなにかに、引っ張られるような気持ちがして、それが恐ろしくなる。

 すこし私的な話をする。死というものは、普段はどこか曖昧な、宙に浮いたものである。けれども誰かの「死」を知った時、それは突然、形を伴って、降りかかる。
 もうだいぶ前のことになるが、筆者の祖母が亡くなった事があった。死に目に立ち会えた。祖母の意識は殆どなかった。そして生が終わり、死があったということも、医療機器のピープ音と、医者の「ご臨終です」という言葉がなければ、分からなかった。けれども、目の前の「死」を認識した瞬間、その病室に「死」が立ち込めて、「死」の匂いがして、目の前で一つの「死」があったことが、心の中にすごく染み込んだ。
 だけれども、「死」とは何か。一人の人間の死に際に直接立ち会っても、少しも分からなかった。うつ病で死を考えて、死というものに精神的に瀕した時も、「死」というものの正体はわからなかった。

 そして今回のニュースでも、「死」があった。Twitterを始めてから、恐らく初めて立ち会う「死」のニュースである。拡散してタイムラインに流れていく、人々の感情の吐露の中で、わからない「死」の匂いが、筆者の心の中に立ち込めるようだった。それは恐ろしいことだった。わからないのに、わからないままに、「死」がある。

 人間にとって一番の恐怖は、「わからない」という事である。「わからない」事をわからないままにするのが、人間にとって一番の恐怖だから、何かいろいろな形で人間は「死」に説明をつけようとした。そして、それを信じようとした。理屈にしたかったのである。けれども、筆者の考える所では、やはり「死」は「死」であって、人間は、「死」を肉体的にも精神的にも克服することはきっと出来ない。
 「死」の瞬間とはなにか。眠る瞬間のようなものなのだろうか。それとも、その瞬間の断絶の直前に認識しうるものは、とても恐ろしい何かなのか。何がやって来るのだろうか。断絶なのか、永遠なのか、その後があるのか、無いのか、やはりわからない。

 メメント・モリという言葉がある。「死を想え」とう言う意味である。想う。わかる必要はない。ただ、「死」を想う。そうすべきだという言葉である。心の中に「死」を留めておいて、「死」に備える。「死」に向き合う。ただそれも、一歩間違えれば、「死」を「考える」事になって、考え始めればわからなくなって、恐ろしくなるのではないかと思う。

 人は「死」を克服することは出来ない。感情とか、理屈とか、形にして、いろいろな方法で整理をつける。そして忘れる。覚えつつ忘れる。正確には「死」というものを、忘れる。忘れるように出来ている。そうでなければ、恐ろしくなるからだ。
 ただ、忘れるということは、悲しい。筆者として、この感情が、考えが、何処かへ行ってしまうというのは、悲しい。
 メメント・モリ、あえて、ブログに記事に残すことで、形にすることで、筆者なりに死を想いたい。

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  大変奇妙な夢を見た。
 大抵の場合、変な夢を見たと言ってそれを人に話しても、他人のとりとめのない夢の話などされてもナンノコッチャとあまりウケがよろしくない。
 しかしこの度筆者が、たった今見た夢はなかなかに複雑怪奇で、ツッコミどころ満載の面白さがあると思うので、書いてみる。

 夢の中。ショッピングモールの古書店を訪ねていた。すると、なんと我が敬愛する御大、H・P・ラヴクラフトの作品が載った本物のパルプ雑誌が置いてあるではないか。しかしお金がない。なので筆者は、どうやらそれを盗んだらしい。万引きである。らしいというのは、過程をすっ飛ばしていつの間にかそういう事になっていたからである。夢ってそういうものである。

 うーんなかなかリアリティのある犯行動機である。ラヴクラフトマニアの方にはその価値が分かると思うのだが、要するにマニア垂涎のものなのである。一応断っておくが、現実では筆者は天地神明に誓って、一度も盗みなど働いたことはない。

 続く、盗みを行った筆者は、いつの間にかシュワちゃん刑事に捕まっていた!なんじゃそりゃ!
 
 筋骨隆々、ターミネーター2の服装をしたシュワちゃん刑事に肩を組まれ、徒歩で警察署まで連行される筆者。警察署はなんだかとてもこじんまりとしていた。

 そしてこの夢一番の名シーンである。
 警察署の長い廊下を歩きながら、シュワちゃん刑事に肩を組まれた。シュワちゃん刑事は言った。「I'll be back!」筆者は答える。「戻ってきます!」
シュワちゃん刑事「I'll be back!」筆者「戻ってきます!」・・・「I'll be back!」「戻ってきます!」、
「I'll be back!」「戻ってきます!」というやり取りはいつまでも続き、筆者は泣きながら更生を誓うのであった。なんじゃそりゃ。

 ちなみに筆者の盗みというのはどうやら冤罪であったらしい。なんじゃそりゃ。

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